Mon 03/21 2011

ビートたけし、個々の悲しみに想像力を

14:16 個々の悲しみに想像力を 33
週刊ポスト2011年4月1日号121~122ページ「21世紀毒談特別編」より抜粋します。
見出しは、『「被災地に笑いを」なんて戯れ言だ』です。
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【お詫び・訂正】
 ご迷惑をおかけ致しまして申し訳ございません。
勉強不足で、全文抜粋に対して何人かの方々から注意を受けました。
部分的な抜粋をして、再度UPすることになりました。
全文をご希望の方は、申し訳ございませんが、「週刊ポスト」2011年4月1日号をご購読下さい。
深くお詫び申し上げます。



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今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。
だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

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【以下、私の感想です】
これは掲載された内容の一部分ですが、このビートたけしさんの文章は、人によっては、「現地を知らないくせに、偉そうに言うな!」と感じるかもしれません。
あの震災からどんどん時間が経っていきますが、あらゆる問題が山積していて、大小あれど、悩みを抱えている人々が沢山います。

ビートたけしさんは、誰もが知る有名人であり、おそらく震災後、もっとも発言を待たれた人の一人だったと思います。
私のブログは、半年前からビートたけしさんの発言などを追いかけていました。
知る限りにおいて、ビートたけしさんがこの震災に関して、最初に公に発言された内容が掲載されたのは、東京スポーツ新聞の一面だったと思います。
そこに、個人個人の悲しみに対して想像力を働かすことが大事だと発言しています。

ほとんどの方々が体験したことがない大震災、私は東京で働いており、自分の会社のビルの中にいたのですが、長くて不気味な揺れ方でした。そして隣のビルの揺れ方が見たことがないくらいの大きな揺れ方で、おおげさかもわかりませんが、このまま強くなれば隣のビルも自分のビルも崩壊すると、かつてない恐怖が迫ってきた瞬間がありました。

無事に帰宅した後、テレビで今回の惨状を見ましたが、信じられない状況でした。
現地に比べたらたいしたことではありませんが、東京にいた私ですら、恐怖がまだ消えません。

テレビは震災報道一色、目を背けたくなる映像が24時間流れ、テレビを見たくなくなりました。そんな中、ビートたけしさんの話を聞きたいと思ったのです。戦後の貧しい時代を生きて、バイク事故で瀕死の状態も体験している、そして何より力強い「言葉」を持つ。
けして神格化したいわけじゃありませんが、常識人ビートたけしが、この状況をどう思ったのか、我々は、どうするべきかのヒントを与えてくれると思ったのです。

上の文章の中にはありませんが、「やるべきことをやる」というようなことも言っていた。
そして、私が一番驚いたのが、ビートたけしさんが文章の締めに「最高の一本」となる映画を撮りたいと言っているところです。
珍しいと思いました、本音なんだろうと、今一番やりたいことを言う、性格からして言わないはずなのに…

正直に告白すると、最初に読んだ時は、ちょっと今の状況に比べると弱いなと、言葉が状況に負けているなと思いました。しかし、この状況はそれだけ言葉を奪う状況だとも思ったのです。
ビートたけしさんは、政治家ではない、地震の専門家でもなければ、原発の専門家でもない、芸人です。
本来ならば、粛々としている、出番がくるまで待つはずです。

しかし、それを周囲が望まないことは本人が一番よくわかっていたはずです。
個人個人の悲しみに想像力を働かせ、今やるべきことをやる、
これを勇気を持って発言できる著名人がはたして他にいるのか、
私はビートたけしさんの言葉が、ある社会的な役割を果たしているのだと実感しています。

ビートたけしさんが芸人だろうが、映画監督だろうが、まったく関係がない。
これからも、被災者の方々のためにビートたけしさんが動くはずです。
この文章は、良い、悪い、ではなくて、
人生の大先輩から、我々への精一杯のメッセージなんだと思います。

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